トレーナーになるまでの道のり⑲

10月、阿部先生達(阿部先生と私の前の会社の上司)の作った「T・コンディション」

も、年が明けた頃「ご紹介制度」で研修生がやってきました。

まだ会社として手探りで色々作り上げていく状態の中

「T・コンディション」のスタッフとして2名が一緒に活動することになりました。

 

 

小さな会社はもしかしたら、そうなのかもしれませんが、、、、。

「T・コンディション」はスタッフ募集・入社試験などはなく

「ご紹介制度?」で一緒に働く仲間が増えていきました。

紹介される人材は 私の前の会社の元上司が卒業した

夜間の社会体育の学校の生徒さんです。

当時こちらの学校の授業を元上司が担当しており、ご紹介を頂いてました。

この元上司、学生からは「授業の楽しい、憧れの先輩」と言うような存在

だったようで「一緒に働きたい」「会社に入りたい」と言う学生が

多くおりました。その中から選ばれ「ご紹介」された学生さん達でした。

あとから合流した大久保くんも、この専門学校の卒業生で元上司は恩師。

大久保くん、「ご紹介で来る研修生」は由緒正しい元上司の門下生と言う感じです。

 

当時「T・コンディション」の仕事は

セミナー・講習会

それを通した人材の育成

パーソナルトレーナーの育成が多かったのかな?)

FNC理論の構築などなど

あ、後 ボール、書籍の物販もありました。

 

上記以外に私と大久保くんに課された仕事は

自分達のトレーナー活動に加え

一緒に働くスタッフの育成「出来る仲間・部下、トレーナーづくり」

これは一番大きな?大変な仕事の1つでした。

大久保くんはパーソナルトレーナーとしての実績づくりをしつつ

フィットネスクラブでのパーソナルトレーナー導入に向けた

クラブ側への企画・提案。

それと並行作業でパーソナルトレーナーがフィットネスクラブで

受け入れにてもらうため必要なシステムの構築。

パーソナルトレーナーの販促の方法の構築

※このシステムの構築は絶対に私には出来ない、大久保くんだから作れたシステムだと思います。

この当時コレ考えていた方、形を作った方はいなかったと思います。

 

暗黙の了解で私は、劇団の仕事をメインにしつつ

少しだけ大久保くんのサポートや「仲間・部下(トレーナー)づくり」をおこないました。

 

右腕候補だった鈴木謙太郎くんは自分のやりたいことが早々に決まり

世の中に先駆けて独立。自分のパーソナルジムを持ちました。

彼はどんな時もブレない、私よりかなり年下とは思えないくらいしっかりした子でした。鞄持ちをした時から数年後に自分の城を築いた彼。

一緒にいた時間は彼の下積み時代と言ってよいのかな、、、、。

どんどん自分の道を突き進み、大きくなっていく姿を見ている私は

お母さんの気分です。

 

鈴木くんが独立し、大久保くんと私は

日々オーバーロード、毎日元上司からの圧力・ストレスに負けず精進してました。