延期になっている同窓会 

2020年3月、人生の節目に中学時代の同窓会が開催される予定でした。

 

友達数人と飲んでいる席で「同窓会やろうと思っている」「だだから手伝って」と声をかけられ同窓会のお手伝いをすることに。発足会の前に少しづつ事をつめていくことになりました。

 

私達の学年は1つ上・1つ下に比べると2クラスほど少ない6クラスでした。1クラス45,6人いたので今思うと教室はギュウギュウ、密な空間だったな、、、と思います。

 

私達のクラスは担任の先生の定年をきっかけに少し前にクラス会をしていました。

忘れていましたが私達のクラスは卒業時に同窓会幹事(男女各2名ずつ)が決められていました。男子は地元、隣町に住んでおりましたが女子は遠方に嫁いでいたり、クラス会の幹事が出来ない環境にありました。

私は幹事でなければ中学時代まとめ役でもない、特に何かを任されるタイプでもない人間でしたが会社を辞め地元にいる時間が増えた時の出来事で「地元にいるなら手伝って」という流れで幹事代行を務めました。

このクラス会の時に連絡網を作成したのですが、ま~大変。大半の子と連絡がつかない。小さな町ですが区画整理などあり住所自体が変わっていたりアパートが取り壊されていたり。電話がつながらず、昔の記憶をたどり家に行ってみると更地になっていたり。こんなにも連絡って取れないものなのか、、、と落ち込みました。仕事や結婚で地元を離れた子もいます。私もそうですが、中学の頃は借家に住んでいた子が多かったので家族で引っ越しをして音信不通という子もいました。中学を卒業して長い月日が流れているので当然なのかもしれませんが「何時でも会える!」と思っていた昔の友人達と連絡がつかないことに呆然としました。それでも何とか4分の3くらいと連絡を取ることができました。

この時大活躍したものが「年賀状」でした。年賀状だけの付き合いになっていても「繋がっている」凄さ!地方に引っ越した子の居場所を年賀状で知ることが出来ました。

長年、年賀状のやり取りを続けていた友達に感謝です。インターネットが主の時代ですが年賀状、アナログな手紙の大切さを実感しました。そして、年賀状に加えて地元に住んでいるママ友繋がりにも感謝。私は年賀状で役に立てず、子供が居ないのココでも役に立てず。

「去年、運動会で会ったから地元にすんでいるはずだ!」とか「授業参観で見かけた」とか「友達の子供が〇〇の子供と同じ部活だから聞いてあげる」とか情報がたくさん集まってきました。地元に住んでいるとわかるだけで探しようがあります。人との繋がりって面倒に感じる時もありまますが、やはり大切なんだな、、、と思いました。

 

ここ最近またコロナの感染者が増え、ニュースでは変異型がどうとか、、、自粛解除となっても気の抜けない日々を過ごしています。

同窓会はちょうど、1回目の自粛期間に入っており延期になったまま1年が過ぎました。

去年のあの頃は「お盆のころか秋のお彼岸くらいにはできるかな!」なんて考えていましたが、これからもしばらくは大人数が集まることが出来ない世の中かもしれません。

 

同窓会はいつ頃、どんな形だったら開催できるのかな?なんて考えてみるのもチョッと楽しかったりします。妄想好きの私でした。

 

 

 

 

 

税理士さんとの出会い ~確定申告~

会計士さんの所に行き、確定申告を済ませてきました。

今年は締め切り期限が通常より1か月長く4月15日。ゆっくり準備が出来ました。

この会計士さんには8年ほど前から御世話になっています。

とても真面目で丁寧な先生です。

 

母が他界して、相続・お金の事をどう処理したらよいのかわからずにいました。

私身内が少なく母一人子一人家庭で育った上に、近くに親戚が全くおらず相談できる人、世話を焼いてくれる人がいませんでした。

税理士さん?会計士さん?そんな友達も知り合いもいない「困った」と思った私。何故か「こんな時は不動産屋だ!」と思い地元で何十年も不動産屋を家族で営んでいる同級生のところに「誰か紹介してくれ!」と突然押しかけて行きました。

この時同級生は接客中のため同級生の父・母が親身になり話を聞いてくれ

「それならあの先生がいいわね、ね社長!」と副社長の母が社長の父に相談し、電話をかけ「斯々然々、、、」と説明をしアポまで取ってくれました。

その時紹介してくれた方が、今お世話になっている会計士さんです。

翌日、紹介された会計事務所に行き色々説明してもらっている時「ん?何かこの先生知ってるかも、、、誰だ?どこの知り合いだ?」と頭をめぐり全く先生の話が頭に入ってこなくなりました。

勇気をもって「先生、どこかでお会いしたことありませんか?」と聞いてみました。先生は「いや、、どうでしょう、、、」と困った感じで。気になった私は「先生ここは地元なんですか?」「先生おいくつですか?」「2つ上なんですね、じゃ中学1年重なってますね!」と話すうちに「あ!!!わかった」「先生、テニス部ですよね!」超すっきり、思い出した。テニス部の先輩だ。

2つ上なので私が入って5か月で引退してしまう上にテニス部はなかなか大人数、さらに男子と女子は別々練習。先生は私のことなど知る由もありませんが私にとって2つ上の先輩たちは憧れの存在、男子でもちょっとくらいは知っています。「確かこの人強かったぞ。」

因みに、不動産屋の同級生は中学時代から仲が良く、高校を卒業しても飲みに行ったりしていた男子。現在住んでいる所の土地の購入時、お世話してもらったご縁のある不動産屋さんです。

全く地元の友達など交流が無かったのですが、ここ数年地元の方とのご縁が増え

「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がとても理解できる日々を過ごしています。

元々親戚が少なく従妹も一人しかいないので従妹とは仲良しです。

でも本当に「近くの他人」に助けられています。

「近くの他人たち」ありがとう、これからもよろしくお願いします!

 

 

 

虹の橋を渡ったうちの子

3月は1度もブログを投稿しないまま。

あっと言う間に4月2日。

昨年の4月、桜が散り始めた頃 約20年一緒に生活をしていたミニチュアダックスフンドイチローが虹の橋を渡りました。早いものでもうすぐ1年。

ちょうどコロナで自粛中、家から出ない生活を皆がしていた時の事です。普通の生活中だったら悲しくても、やる気が出なくても元気に装い仕事をしなくてはいけなかったけど、自粛生活中でしたので泣いてばかりの引きこもり生活をしていました。

イチローがいつも居た場所を見ては涙、イチローの布団を見ては涙、空を見ては涙、、、こんなに涙は出るものなんだな。と思いました。

私の誕生日、3月生まれなのでつい先日。ずっと見ることが出来なかったイチローの写真をそろそろ見てみようと心に決め、ipadで撮りためたものを見てみました。久しぶりに見たイチロー、だいぶ時間がたっているのに涙がこぼれてきて沢山は見ることが出来ませんでした。でもチョッと見られた。

 

私の家は物心ついた時からずっと猫がいた家でした。

私と母は働いていたので祖母は家の事をこなすお留守番係。猫と毎日ノンビリとした生活をしていたので「ボケたらイカン」という事でイチローは祖母のボケ防止のためにやってきた仔でした。

ちょうど母の兄夫婦が飼っていたミニチュアダックスフンドに仔犬が産まれた時で、一番大きく産まれた長男がやってきました。その仔はイチロー命名。祖母と先住猫のシロとイチローでの留守番生活が始まります。 

 

今年は暖かく桜が早く満開を迎え、我が家の庭も水仙アネモネ・ボケ・ニラ草・すみれ・ローズマリー、、とたくさんの花が咲きました。毎年イチローと一緒に花を写していたので庭の至る所にイチローの思い出があります。

 

イチローの事、書いていきたいと思ってます。

 

 

トレーニング種目の名前って・・・

東京YMCA社会体育専門学校を卒業して就職したフィトネスクラブのシーリアムはお世辞にも広い!とは言えないこじんまりとしたトレーニングルームでした。

ノーチラスマシン(懐かしい最近見かけていないです)10台

「ノーチラス:アーサージョーンズ:可変抵抗 」(就職してこう覚えました)

レッグエクステンション、レッグカール、プルオーバー、ピップアブダクション・アダクション、トーソーアームⅢ、10度チェスト、マルチバイセプス、トライセプスエクステンション、アブドミナル、ローワーバック。だったかな、、、遠い記憶をたどり思い出しているので名前があっているか心配。

コンビのエアロバイク、ボート(どこの物だったのだろう)

壁一面鏡張りのフリーウエイトゾーンには(鏡のところはスポットライトでした)

プレスベンチ、フラットベンチ、ダンベルセット、ストレートバー2本、EZバー1本、トライセプスバー1本、プレートセット、、、こんな感じだったかな。

「無いものは作る」その為の物がゴッチャーと。殆どのお客様がフリーウェイトをされていたので毎晩フリーウエイトゾーンは蜜でした。

このゴチャーとある物は、フラットベンチをインクライン、デクラインにするための台、スコットカールをするための補助シート?、女子・脚の短いスタッフのための?ベンチプレスで補助する時の足台。

例えばスコットカール。プリチャーベンチが無かったのでプレスベンチにバーベルをセットし、そこに補助シートを斜めに立てかけて作る。チンニングはトーソーアームⅢのウエイトを一番下・重いところにセットし持つところにストレートバーを通して即席の鉄棒を作る。こんなの見られたら絶対メーカーさんに怒られそうですが「そんな風に使えるのね!」と感心する使い方がたくさん。

 

私が夜勤をするようになった頃、上腕三頭筋のトレーニング「トライセプスキックバック」がブームなの?と思うくらい、このトレーニングする姿をよく目撃した時期がありました。

さてこの「キックバック」というトレーニング種目の名前。シーリアムでは皆「キックバック」と言っていたのですが、次に勤めたクラブでは「プッシュアウェイ」と呼ぶ方が多くなんとなく「プッシュアウェイ」がこのクラブでの共通用語になりました。他のトレーニング名も何個か、、、、。

 

フリーランスになり気付けば「キックバック」と言う自分に戻っていました。

レーニング種目の名前って色々な呼び方がありますね。

 

 

アームカールにつて考えるきっかけ 

 東京YMCA社会体育専門学校を卒業して就職したフィトネスクラブのシーリアム。

暇さえあればトレーニングをするスタッフはとて素晴らしい体の持ち主ばかりでした。トレーナーになるまでの道のり②でちょっと書いたのですが、シーリアムではトレーニングメニューを当日お客様の様子を確認して作成し実施していました。

素晴らしい体の持ち主たちはトレーニング知識・ウンチクが豊富でメニューの組み方もベーシックからスペシフィックまで、それぞれ個性的なものを提供していました。※ただ単にトレーニング名が羅列しているのではなくキチンと目的や理由がありとても勉強になりました。

そのシーリアムでは時々抜き打ちテスト的なものがあり何度か受けたことがあります。記述式で自分の考えを書く。点数はつかなかったような、、、今思うと何が出来て何が出来ていないのかを知るためのテストだったと思います。

その中で上腕二頭筋のトレーニングについて

バーベルアームカール と ダンベルアームカールの違い、利点と欠点

のようなお題の時がありました。

そこそこ解答用紙を埋め提出、その中の回答の1つなのですが

ダンベルは回旋が出来るのでより収縮させられるがバーベルは回旋ができない」

と自信をもって書きました。戻ってきた解答用紙に

「バーベルは回旋できないから何?回旋できないからより収縮はできないってこと?」

「バーベルアームカール、手幅を広くやってみたらどんな感じ?」「EZバーは?」、、、とたくさん書き込まれていました。その解答用紙はどこかにいってしまい探しても見つからないのですが余白は赤のボールペンでビッシリと。最後には「もっと頭使え、もっとトレーニングしろ!」と締めくくられていました。

本を読んで覚えただけで体を使って覚えていない、やっぱり薄っぺらな解答だったのだと思います。一緒に働いていた方から「一緒にトレーニングして帰ろう」とか声をかけて頂きトレーニングも補助の仕方も気付けば出来るようになりトレーニングも楽しく感じるようになりました。

この抜き打ちテストのおかげで少しづつですが、トレーニング名の羅列でメニュー作りをしていた薄っぺらなものから「何故このトレーニングを選んだのか、コレにしたのか」と考えるようにもなれました。

 

アームカール、あまり得意ではない種目なのであえてトレーニングの時いれていませんでした。あの頃を思い出し今の自分に必要なアームカールをやろう!とチョッとだけ思いました。

 

 

 

 

ストレッチ ~ストレッチも1つの手段~

フィットネスクラブで活動するトレーナーさん達を対象としたストレッチの講座では簡単な理論をして殆ど実技を行ってます。ストレッチだけでなくトレーニングもですが、実際に自分がやってみて、やってもらって、する側・される側の両方をしっかり体で覚えてからお客様・クライアントさんに施術・セッション出来るように。

講座の時間は出来るだけ沢山人の体に触り、色々なタイプの身体で練習、経験を積んでいく必要があると思っているので理論は少ししか触れられず悩ましいかぎりです。私は頭がかたい、理屈が分からないと嫌な性格、自分が理屈っぽいので理論が好きです。

ここ10年くらいは治療をメインにされる方達にストレッチの講座をすることが多く理論が少し長めにおこなうことが出来ています。治療をされている方は施術でもともと体に触っているので触りなれている方が多いのですが、フィットネスクラブのインストラクターは基本お客様に触りません。触らないから触りなれているわけがない。(あ、これもSAIDの原則?!)触りなれるための練習が無い分理論ができます。そんな違いがあります。

フィットネスクラブで活動するパーソナルトレーナー、治療をする方、整体をする方。立場は違えど、クライアントさんの目的は同じようなものばかり。

例えば、色々な部位の「痛みや凝りの予防、改善」や負傷後の「リハビリ、Re・コンディショニング」

フィットネスクラブでのパーソナルトレーニング、目的の多くはシェイプアップ、ボディメイキングですが、それに加え「痛みや凝りの予防、改善」を目的とするセッションはとても多いです。治療や整体の現場では特に「痛みや凝りの予防、改善」を目的とするクライアントさんが多いと思います。

日常の生活スタイルや性格、食事など色々な原因が考えられるし、それぞれ体のバランスも違います。ですので、同じことをして良くなる方もいれば良くならない方もいます。様は人それぞれ、トレーニングが必要な方がいればストレッチが必要な方もいる。リラクゼーションや休養が必要な方もいます。もう少し深く追求していくとストレッチが必要なところとトレーニングが必要なところが混在していたり。パーソナルのセッションはその方の事を良く知る、理解する必要があります。個別性、追求。

「痛みや凝りの予防、改善」「ボディメイキング、シェイプアップ」など、やっぱりストレッチは頼もしい手段の1つだと思います。知っているようで良く知らないストレッチ。ここ最近自分の身体の変化で改めてストレッチの理解を深めたいと感じ復習からスタートしました。せっせとパー作り。気付けばストレッチはトレーニングにつながります。ストレッチとトレーニング、切っても切れない間柄。ストレッチもトレーニングも効果が出始めると嬉しいですよね。

 

続・トレーナーになるまでの道のり ~東京YMCA社会体育専門学校~

「〇〇になりたい!」と言うような志はなく、高校時代、音楽と体育が好きで、少しだけ成績が良かったことから社会体育の学校に進学しました。この学校が「東京YMCA社会体育専門学校」です。体育の学校なら毎日バレーボール、テニス、野球と運動三昧で楽しいだろう!と学校案内もキチンと読まず、受験。入学して授業は実技ばかりではないと気付きました。片道2時間かかる学校、思っていた授業の内容ではなかったけれどせっせと学校に通いなんと皆勤賞。皆勤賞というと勉強が好き?真面目?というイメージですが全然違います。決められたことは取り合えずやる、古き良き日の日本人なだけです。学校に行ってるだけ。

学生時代の教科書はどこかに行ってしまい全部無いのですが、きっと今その頃の教科書を開いたら、授業を受けられたら「ほ~こんな事教わってきていたのか」と思うものばかりだと思います。勿体ない。

この学校に入学し、初めて進路について考えたのは2年に上がる時でした。多分就職を見据えて授業を選ぶようになっていたのだと思います。

私は水泳はやらない!エアロビクスもしたくない。と強い意志で2年生では全く水泳をしなくて良い「ラケット・ウエイトコース」というラケットボールウェイトトレーニングの授業が受けられるコースを希望しました。

まず、この選択が私をトレーナーへ導いていました。

ウエイトトレーニングの先生から「知り合いのフィットネスクラブでスタッフ探している」と紹介されたところに卒業後就職します。

始めはアルバイトのつもりで面接に行きました。実は私、学生時代テニスをしていたので就職するなら「ラケットボール」がいいな。と思っており、ラケットボールで就職活動をして筆記、実技、面接にすすみ早々に合格を頂いておりました。が、なぜか合格をお断りしウエイトトレーニングの先生に紹介されたクラブに就職をしました。

総合フィットネスクラブに社員として入社するとGYM、プール、スタジオ、フロントと複数担当するクラブがほとんどです。私はウェイトトレーニングだけ、ラケットボールだけで就職をするぞ!と決めていました。確かラケットボールのほうは子供の水泳の受付業務は兼任でしたがほぼ私の希望通りでした。ウエイトトレーニングの先生に紹介して頂いたクラブは総合フィットネスクラブでしたがプールが無い!私の理想。さらにGYM専門。フロントはフロント、スタジオはスタジオと各セクション専門のスタッフで構成されていました。これが決定打でした。

 

先日、母校・東京YMCA社会体育専門学校のホームページをみました。学生時代のキャンプ実習(必修科目)でお世話になったディレクターさんが校長先生になっていてビックリしました。随分月日が流れましたが変わらぬお顔。薄情な私は卒業後学校に行ったのは1度だけ(それも用事がある時だけ)、お世話になった先生方に挨拶もせず不義理な人間です。私ごときを覚えてはいないでしょうが校長先生に会いに行きたいな!と思いました。