私の中の偉人たち②

今回も「シーリアム」で出会った方。

「江川栄一さん」について。

色白の陣内孝則、、、そんな見た目のお兄さんでした。

 

この方は研修をメインで担当してくれました。

私の同期?一緒に研修を受けた仲間は私を含め4人。体育系の学生3人。ともう一人。

研修は12月頃から始まっていたので、まだ私達3人は学生でした。

 

ここでの研修は現場に入るための知識・技術の基礎研修。トレーニングの原則やトレーニング理論、解剖・生理など。

普通に考えて3人は「体育」の学校に通う学生。知っていて当然の事を研修してもらっているので「復習」的な感じのはず。

が、しかしこの3人なかなかのポンコツで全く覚えていない。

学校で何をしてきたのか。江川さんは呆れていたに違いないのですが

そんなポンコツの私たちに根気よく教えて下さいました。

 

江川さんのお蔭でたくさんの事を楽しく覚えることが出来ました。

しかしこの研修で「学校へは何をしに行っていたのか?」と改めて考えされられました。

「学校でやったはずなのに覚えていない!」

私、全然威張れませんが落第点は100米個人メドレーのタイムが切れなかった水泳だけ!他のテストは合格している、だから一度は覚えたはず。

 テストのための暗記だったのでテストが終わるとともにサッサと頭の中から排除されたのでしょう。結局覚えてはいません。

 

江川さんの研修では興味を持たせてもらう事が出来ました。

そんな江川さんに感謝「ありがとう江川さん」

私の場合、どうやら興味を持てば知らず知らずに覚えらている。

 

現在も「人材育成」の仕事をさせて頂いてますが「伝える仕事」って

色々なタイプの先生、色々な方法があって良いと思っています。

沢山の受講生がいて全員が同じ感覚を持っているわけではないから

自分が好きなタイプの先生、自分が理解しやすい話し方の先生、初見からこの人苦手かも、、、と思ったり。

自分の思いや、自分が感じる事は他の人と同じとは限りません。

受講生の数だけ先生がいてもいいのかも。

色々なセミナーや講座に出向いて話を聞き

自分が「好き」と思える先生を見つけられたら嬉しいですよね。

だから、色々なタイプの先生がいて、色々な手法を使う先生がいて、、、良いと思います。

 

私、江川さんの研修で「超回復」の話が大好きです。

「運動指導者」の育成コースで、もちょくちょくその話を使わせて頂いてます。 

あの時の江川さんの姿が参考になって今の私がいます。

楽しく、しかし大切な時にはキチンと。「研修嫌だな」と思っていても

江川さんが空気づくりをしてくれ、あっと言う間に江川さんのテンポに乗せられ

結局楽しく研修を受けていました。

 

私、基本ポンコツなので興味は持てましたが、理解し自分のものにするにはこの研修だけでは時間が短かかった。研修が終わり現場に入り実践が増え、改めて研修での事を「あ~この事?」とか「あ、これね!」と思えたり「ん?どういう事?」「聞いたことがある気がするけ何だ?」とか、、、。なんとなくでも覚えることが出来たおかげで資料を見返したり、学校で使っていた本を開いたりずっと興味を持ったまま仕事に入れました。

つい最近、当時研修で受けたテストを発見。かなり微妙な回答をみて笑ってしまった。

 

 

今でも私は勉強の仕方、色々な事の覚え方が良くわかりません。

でも興味を持ったことは気付けば出来るようになったり、覚えたりしているので

私と同じように勉強の仕方、覚え方がわからないという方の中に、興味を持ったら気づけば出来ていた!となる方もいるかも。思っています。

「興味を持てるようにお手伝いしたい。」そんな気持ちで毎回講座をすすめています。

 

 

 

 

 

 

 

私の中の偉人たち① ~山崎磨智先生~

「T・コンディション」での経験をプラスして

現在もひっそりとトレーナーとして活動し

人材育成の仕事もさせていただけています。

今の自分がこの業界で活動できているのは

出会ってきた多くの方々のおかげだと思っております。

たくさんの事を教えてくれ、程よい刺激や、時には潰れそうになるストレスを与えてくれた、大変お世話になった方達、、、。

 

私の最初のピースは、新卒で入った最初のクラブ。ここで出会った方達。

新宿の余丁町というところに在った22時間営業のスポーツクラブ「シーリアム」は

社会体育の学生時代、ウェイトトレーニングの授業の時間に先生から紹介された会社でした。

 

このGYMでチーフを務めていた

「山崎磨智コーチ」この会社ではGYMスタッフはコーチと呼ばれておりました。

日体大卒の勉強家、努力家。

コーチ・トレーナーとして最初の目標となった方です。

レーニングの玄人さんから慕われる身体の持ち主で知識も凄い。

深夜2時ころガツガツトレーニングを始める不思議な人でした。

 

ズルで怠け者の私を見抜いていたのか

わからない事を調べもせず答えを聞こうと質問をすると、質問の答えをくれるのではなく、質問の答えが書いてある本を下さいました。それも必要な部分に付箋をつけて、、、。

悩んだり、悲しい事、辛い事があったときには「美味しいもの」をご馳走してくれたり、基本的に優しい方なので現在も公私にわたり面倒を見てもらっています。

 

進路相談でカイロの学校をすすめてくださった方でもあります。

私の通ったカイロの学校で山崎コーチは実技の先生をしておりました。

ですので「山崎コーチ」から「山崎先生」と呼び方が変わりました。

 

「シーリアム」時代、仕事をしながらカイロの学校に通う山崎先生の姿を見てきました。当時の私は、こんなに色々な事を知っていて、こんなにトレーニングしてるのに何をもっと知りたいのか?理解ができませんでした。

寝る時間もないくらい仕事と勉強をして、知識と技術をどんどん身につけて

あっと言う間に、治療とトレーニングを両立させた施術を行うようになり

美容と健康を備えた施術院を横須賀に持ち

平成元年版・腰痛解消!「神の手をもつ12人」という本に載っていたり。

トレーナーとしてもカイロの治療家としても私にとってずっと目標であり尊敬できる

先生です。今でも惜しまず勉強を続けどんどん先にすすんでいく。

ずっと超えることが出来ない存在ですが、少しでも近づくことが出来たら嬉しいです。

 

会わずとも、いつも助けられている存在です。

いつかどんな形でもよいので恩返しがしたいと思っています。

 

トレーナーになるまでの道のり⑳

「T・コンディション」は次の年に、陸上でのパーソナルトレーナー

新しい事業、プールでのアクアパーソナルトレーナーとして

一緒に活動する仲間候補を

今回も「ご紹介制度」の新卒予定者5人。

その他に3人、総勢8人の研修生を迎えました。

 

T・コンディションには「ご紹介制度」に加え「お声がけ制度」なるものも存在しました。この「お声がけ制度」とは、各自現場やセミナー・講習会で「ピン!」ときた子

「一緒に働きたい」と感じた子を自ら口説き落として仲間を増やしていく制度です。

ちなみにこの「ご紹介制度」と「お声がけ制度」というのは私が勝手につけた制度名なので「T・コンディション」での共通用語ではありません。

 

研修期間は無給の「鞄持ち」

「見て覚える、見て学ぶ」まるで職人さんの世界です。

昔気質な会社で、今思うとよくこんなことしていたな、、、と驚きます。

当然ながらこんなやり方、こんな世界に納得できる人材は稀です、なかなかいない。

研修期間が終わり5人が、正式に「T・コンディション」のスタッフとして

一緒に活動していくことになりました。

 

当たり前ですが、いきなりセッションが出来るわけはなく

大久保くんが構築した パーソナルトレーナーパーソナルトレーニング

導入にあたってのシステムに頼りなが現場に入っていきました。

 私も日数が少ないながら現場・フィトネスクラブに。

 

パーソナルトレーニングの導入に向いているクラブを見極めるために

事前にクラブ回りをしたり、実際導入するクラブへの根回しをしたり

さらには、どのクラブにどのトレーナーを配備するか、、、、。

構築したシステムとプラスして今までの経験・感覚を駆使し

その時の私たちに最善な現場、一緒に現場に入るパートナーの選別など

大久保くんが中心になって考えました。

どんなイベントをいつ行うか、どのように予約を取っていくかなど

販促方法を考えたり。

クラブとの連携はどうするのか。

現場でスタートするまでにパーソナルトレーナーとして必要な知識・技術

仕事をして行くうえで求められる人間性

始めての事がやりやすくなるような現場づくり、細部にわたり作り上げました。

大久保くんと5人の新しい仲間、そして私。さらに前の会社で一緒に働いていた先輩

を加えた8人で一つの大きな山を越え、次の山に向かう準備が始まりました。

 

 

トレーナーになるまでの道のり⑲

10月、阿部先生達(阿部先生と私の前の会社の上司)の作った「T・コンディション」

も、年が明けた頃「ご紹介制度」で研修生がやってきました。

まだ会社として手探りで色々作り上げていく状態の中

「T・コンディション」のスタッフとして2名が一緒に活動することになりました。

 

 

小さな会社はもしかしたら、そうなのかもしれませんが、、、、。

「T・コンディション」はスタッフ募集・入社試験などはなく

「ご紹介制度?」で一緒に働く仲間が増えていきました。

紹介される人材は 私の前の会社の元上司が卒業した

夜間の社会体育の学校の生徒さんです。

当時こちらの学校の授業を元上司が担当しており、ご紹介を頂いてました。

この元上司、学生からは「授業の楽しい、憧れの先輩」と言うような存在

だったようで「一緒に働きたい」「会社に入りたい」と言う学生が

多くおりました。その中から選ばれ「ご紹介」された学生さん達でした。

あとから合流した大久保くんも、この専門学校の卒業生で元上司は恩師。

大久保くん、「ご紹介で来る研修生」は由緒正しい元上司の門下生と言う感じです。

 

当時「T・コンディション」の仕事は

セミナー・講習会

それを通した人材の育成

パーソナルトレーナーの育成が多かったのかな?)

FNC理論の構築などなど

あ、後 ボール、書籍の物販もありました。

 

上記以外に私と大久保くんに課された仕事は

自分達のトレーナー活動に加え

一緒に働くスタッフの育成「出来る仲間・部下、トレーナーづくり」

これは一番大きな?大変な仕事の1つでした。

大久保くんはパーソナルトレーナーとしての実績づくりをしつつ

フィットネスクラブでのパーソナルトレーナー導入に向けた

クラブ側への企画・提案。

それと並行作業でパーソナルトレーナーがフィットネスクラブで

受け入れにてもらうため必要なシステムの構築。

パーソナルトレーナーの販促の方法の構築

※このシステムの構築は絶対に私には出来ない、大久保くんだから作れたシステムだと思います。

この当時コレ考えていた方、形を作った方はいなかったと思います。

 

暗黙の了解で私は、劇団の仕事をメインにしつつ

少しだけ大久保くんのサポートや「仲間・部下(トレーナー)づくり」をおこないました。

 

右腕候補だった鈴木謙太郎くんは自分のやりたいことが早々に決まり

世の中に先駆けて独立。自分のパーソナルジムを持ちました。

彼はどんな時もブレない、私よりかなり年下とは思えないくらいしっかりした子でした。鞄持ちをした時から数年後に自分の城を築いた彼。

一緒にいた時間は彼の下積み時代と言ってよいのかな、、、、。

どんどん自分の道を突き進み、大きくなっていく姿を見ている私は

お母さんの気分です。

 

鈴木くんが独立し、大久保くんと私は

日々オーバーロード、毎日元上司からの圧力・ストレスに負けず精進してました。

 

 

トレーナーになるまでの道のり⑱

月1回の話し合いを重ね、あっと言う間に

「FNC研究所」は「有限会社T・コンディション」に変わり会社組織になりました。

 

大手フィットネスクラブを退職できていなかった大久保くん

専門学校の仕事を多く抱えていた先輩は少し遅れて一緒に働くことになり

右腕候補の鈴木くんと私が会社のオープニングから携わることになりました。

 

何故私がこの会社に迎えられたのかというと、、、たぶん

 

「T・コンディション」で請け負った仕事と、私のトレーナーとしての願望(※)

チョッと近かったので立ち上げから携わることになったのだと思います。

 

※「トレーナーになるまでの道のり⑯」で出てきた

「自分はどんな活動をしていきたいのか?」という話です。ご参照ください

 

請け負った仕事は、

とある劇団のコンディショニングトレーナーとして

舞台のサポートするというお仕事でした。

確かにその仕事、私の願望に近いような。

「劇団のコンディショニングトレーナーの仕事がありますがやってみませんか?」

と言う感じでお誘いをされ、よろしくお願いいたします。

このような流れでした。

 

「T・コンディション」で働くことで

私の「トレーナーとしての願望」に近い

舞台を作る仲間、サポーターとしての活動が始まりました。

 

 

 

トレーナーになるまでの道のり⑰

「FNC研究所」と言う屋号でセミナー活動を始めた阿部先生達

 

「トレーニング」と「ストレッチ」の二本の柱に加え「バランスボール」を使った

コンディショニングのセミナーもおこなっておりました。

 

「バランスボール」でのエクササイズやトレーニングが

まだ世の中に浸透していない頃でしたので

私は「バランスボール」の扱い方を知らない、、、

というレベルでなく「あのボールは遊び道具なのでは?」と思っていたくらいです。

 

「FNC理論」のセミナーで「バランスボール」を使ってストレッチをしたり、

レーニングのサポートに使ったりボールの特性や色々な扱い方を知りました。

阿部先生達と出会うことがなかったら

「バランスボール」を使ったセッションはできていなかっただろうと思います。

 

「鞄持ち」仲間の大久保進哉くんと鈴木謙太郎くんは

私のほうが年上なのに、足元にも及ばないくらい「トレーニング」についても

「ストレッチ」についても知識も経験も豊富で二人からは学ぶことばかりでした。

思い起こせば、出来の悪い年上の私に色々丁寧に教えてくていました。

今でも会うたびに良い刺激を与えてくれる仲間です。

 

当時から二人とも「バランスボール」についてみょうに詳しく

特に大久保くんは「バランスボール」のウンチクがこの頃から素晴らしかった!

 

大久保くんは大手フィットネスクラブの社員をしながら

鈴木くんは新卒のメチャメチャ若者になのに、チームのトレーナー

やパーソナルトレナーをしながら「鞄持ち」をしていました、、、懐かしい。

 

それぞれ「鞄持ち」をすることになった経緯は違いますが

自然とお互いの良いところ足らないところを受け入れ

同志として絆を深めていけました。

 

 

トレーナーになるまでの道のり⑯

勤めていたフィットネスクラブが閉鎖し

4月から無職となりました。

 

「スポーツPNFの事務局」だった

阿部良仁先生と、元上司は

それぞれ個人でトレーナー活動をしながら

「FNC研究所」と言う屋号で「FNC理論」のセミナーを展開していました。

無職になった私たち

(私と、一緒にセミナーの手伝いをしていた先輩)

は、お二人から専門学校の授業の仕事を頂き食い繋いで行きます。

 

その頃お二人は、

会社を設立するため一緒に活動できる有志、

同じ志で働く仲間を探してました。

その為に、月に1回2時間くらいの話し合いの場が設けられていました。

この話し合い、言わばオーディションの様なものだったのだと思います。

そこに呼ばれるメンバーは顔見知りの仲間に加え、

毎回はじめましての方が集まっていました。

 

さて、良く出てくる「セミナーの手伝い」ですが、

これは「鞄持ち」という意味合いを含んでいます。

一緒に行動して学ばせて頂く。

見て盗んで覚える、身につけるみたいな。

私と先輩の他に、阿部先生達の「右腕候補」だった

久保進哉くんと鈴木謙太郎くん。

この二人が「鞄持ち」仲間の顔見知りです。

良い意味で癖のある芯の通った若者。

 ※二人の話は改めて後日。

 

さてその、話し合いの場は

始めに現状の話を聞きます。

次にその日のテーマに沿ったディスカッション?そんな感じだったように記憶しています。昔の事過ぎて記憶が曖昧です。

曖昧な中にも覚えていることもあるもので、、、。

この話し合い、その日のテーマは、その時その場で伝えられる事が多く

考えをまとめて準備をしておくことが出来ませんでした。

ある時の話し合いで

「自分はどんな活動がして行きたいか?」

「今の自分はどんなことができるのか?」

と言う質問をされたことがありました。

 

私は、コンサートや舞台が好きで、

LIVEの持つパワーと言うか、LIVEの凄さをヒシヒシと感じていてました。

なので「アーティストをサポートする仕事がしたい!」という願望がありました。

1つのツアーで何十本とコンサートを行います。

何か月も、毎日毎日、毎回毎回、何時間も歌って踊って

すごく大変な仕事だと思います。

だから、凄く良い状態でコンサートができるように

何かサポート・お手伝いがしたかったのです。

何故かと言うと

自分が好きなアーティストの元気な姿をLIVEで見たいから。

メチャメチャ自分勝手な理由でした。

ですので「自分はどんな活動がして行きたいか?」と言う質問には迷わず

「〇〇(好きなアーティスト名)が常に良い状態でコンサートが行えるようにトレーナーとしてコンサートツアーに同行してサポートがしたい」

と答えました。

 

実は私、お二人の先生からそんなに期待はせれておらず私を仲間として

迎える予定はなかったと思います。なぜなら右腕候補の二人がいましたから。

さらに先輩は私より元上司の行動など察して動ける方でしたので。

そんな方がいたら仕事ってスムーズにすすむと思いませんか。

 

自分が組織を作るなら「察して動ける」そんな人材が欲しいです。