師事するアロマの先生と
私、アロマテラピーの施術を受けることが大好きで色々なサロンで施術を受けておりました。ここ1年は自主的な自粛もあり全くアロマテラピー・アロママッサージを受けていません。大好きなアロマだけでなく整体、マッサージも。趣味と実益を兼ねてサロン巡りをしていたのですが、こちらもほとんどできておらず悶々としています。
合うセラピストさんと出会えたら定期的に通いたいと常日頃思っておりますが、自宅の近くでアロマテラピーの施術をしているサロンが無く、、、自宅サロンなどあるのかもしれませんが見つけることができずに二十数年。アロママッサージ、香りと手に癒されたい。近くで「行きつけ、いや、、、かかりつけのアロマセラピーのお店・セラピストさんが欲しい!」と、ずっと思っています。
私、好きな事・気になる事を色々知りたくなる癖があり「アロマテラピーってアロママッサージって?」と思いアロマについて色々知りたくなりました。
が、基本怠け者「行きつけ・かかりつけのサロン」でもあれば根掘り葉掘り聞きだし情報を得て知った気になり満足するところです。しかし聞き出す人に出会えなかったので仕方なく自分で調べる・勉強する事にしました。せっかくならアロマテラピーの実技だけではなく理論をしっかり知りたい・学びたいと思いました。
私は「何故こうなるのか」「何故こうした方が良いのか」「何故こうするのか」などわからないと行き詰った時の対処法がみつけられない頭の硬い人間なんです。
思い起こせば、学生時代の体育の授業、カイロプラクティックの勉強をしていた時の実技、見よう見まねで形になり「出来てる」と思われがちでした。が本当は「出来た風」。「何で出来たのか、どうしたら出来たのか」が全くわかっていないので、次の日にはもう出来ない、二度と出来ない、なんて事がたくさんありました。
そう言えば、小学生・中学生の頃の勉強も。偶然解けた数式、二度と解けない事がよくありました。先生が「答えだけじゃなく、どうしたらその答えが出たのか途中の式を書きなさい」と言っていた事を思い出します。やっぱり「何故こうなるのか」「何故こうした方が良いのか、こうするのか」って凄く大切なんです。
そんな私、ご縁合って8年ほど前に素敵なアロマの先生と出会いました。私が授業を担当している整体の学校で、その先生もアロマの授業を担当しておりました。その先生からアロマについて学ばせて頂きました。ずっとこの先生の授業を受け続けアロマを極めたい!と思っていましたが2年前にアロマの先生は整体の学校をお辞めになり私のアロマ勉強は止まってしまいました。
今日はそのアロマの先生と久しぶりにお会いしました。久しぶりなので近況報告をしましたがやはりアロマの話。色々聞き出し充実した2時間。先生から「受けにおいで!」とお声がけして頂いたので早速先生の時間を押さえアロマを受けに行きます。
モロッコのうちわサボテンのオイルの話がとても印象に残っています。
色は?香りは?実際どんな感じなのかしら?とっても使ってみたい!
初めての出来事
今日は中学時代から仲が良い友達とその娘が我が家に来ました。
実は数日前に「婚姻届けの保証人欄にかいてもらえますか?」と言われておりました。
早いもので友達の子供がお嫁に行くお年頃。
この友達は頻繁に我が家で雑談会、親の介護の事・先立つお金の事など面白おかしく、時には真剣に語らいあう友です。付き合いも長いのでお互いの親の事も大変よく知っています。
私の人生で、初めて出席した結婚式はこの友達でした。友達の中で一番最初に結婚し出産・子育てを始めた人生の先輩。中学二年の時、他県から引っ越してきて中学三年で同じクラスになりこの時からのお付き合い。
高校は別でしたが高校の3年間は年中行動を共にしていました。もちろんその後も。
結婚し家庭に入った彼女と会わない時期もありました。
彼女の父とは頻繁に町ですれ違っていたので暫く会っていなくても近況もわかる、何時でも連絡のつく友達です。
彼女が妊婦になり出産し、あの時の娘がお嫁にね、、、。月日の流れは早い。
小さなころからかわいい子でしたが大人になったら本当にきれいな子に成長。親子仲良くて羨ましい限りです。この娘の婚姻届け、保証人の欄にサインをさせて頂きました。
私は母から「保証人には絶対なったらいけないよ!」と耳にタコが出来るほど聞きましたが婚姻届けの保証人は別よね??すでに母は他界しているので確認が出来ませんが、、、。
「婚姻届けの保証人欄にサインをする」という初めての出来事でした。
この先「婚姻届けの保証人欄にサイン」なんて事はあるのかな、、、、、。
股関節の痛み~その後~
昨年股関節の痛みに悩まされ病院へ、股関節に問題はないという事で様子を見ていたが良くならずチョッと大きな病院を紹介され受診。股関節の痛みは骨盤・恥骨部の骨折が原因とわかりました。
「骨がつくまでは極力安静に」と言われ極力指示どおりに生活をしていましたが安静にしていても、動いても痛い。なんとなくリハビリを始めないと不味いのでは?と思い勝手にリハビリをスタートさせました。もちろん少しづつ様子を伺いながら。
( 良かったら2021年1月に書いた「股関節が痛い」を読んで下さい )
尋常じゃない痛みからもうすぐ8か月。
先日の診察では久しぶりにMRIを撮りました。
いつも通り問診しながらの触診・検査。そしてMRIの結果を聞きました。
先生「ほぼ骨がついたので次回の診察は少し期間をあけてみようか。」
「痛くなくなったら来なくてもいいよ」
私 「先生、リハビリとかしないの?」
先生「自分で何かやってるんでしょ?それでいいよ。」
私 「理学療法士さんにやってもらいたい!」
と言う具合のやり取りをしたのですがコロナの事もありリハビリは今まで通り自分で行う事になりました。
勝手に少しづつリハビリを始め数か月。始めた頃と今とを比べて、一つも良くなっている気がしません。自分で出来ることって決まってしまうし。今の私の状態はまだまだ人の助けが必要だと思います。
佐野で「おかま直伝よもぎ蒸しと足つぼと占いセラピーサロン☯あまと」を運営しているお友達のハルさん。手相が見られてハーブの読み取りが出来て、ボディケアに長けたなかなか素敵なセラピストです。ボディートークと言うセッションもされています。
ハルさんには昨年虹の橋を渡ってしまったイチローも大変お世話になりました。
※この話は長くなるのでまた次回にします。
そのハルさんが4月に入り遊び??に来てくれ骨盤調整と足裏、腸セラピーを施してくれました。気持ちが良い腸セラピーと骨盤調整。
痛みで動きの制限があり、かばう動作でバランスがかなり悪くなり、至る所に負担がかかったせいだと思います、足裏はメチャメチャ痛かった。本当に痛かった。
しかし次の日のリハビリはいつもより動け、痛みがほとんどありませんでした。
良い状態を忘れてしまった私の身体と脳みそ。良い状態を身体と脳に記憶させたい。
画像で異常はないけれど、痛い。原因が分からない痛みを持つ方はたくさんいると思います。私もそうですが痛み止めを飲んで動いてしまう。痛みがなくなる・・・治ったと勘違い。そして悪化。
パーソナルトレーナーや施術者・セラピストの方の力を借りる事で効率よく結果をだすことが出来きると私は思っています。自分の症状に合わせてパーソナルトレーナーや施術者・セラピストを選ぶことが出来たらいいな。
病院やお医者さんのように、信頼できるパーソナルトレーナーや施術者・セラピストと出会えている方はラッキーですね。
延期になっている同窓会・2
延期になっている同窓会の話の続き。
同窓会を考えていた友達を総代表とし、数人の友人で各クラスの代表・まとめ役探しをしました。候補をあげ、アポをとり根回しとお伺いをし、各クラスのまとめ役が決まり発足会を迎えます。
まとめ役の負担が少なく済むようにと、総代表が色々と案を出し「同窓会代行会社」と言うものを入れる事になりました。
「同窓会代行会社」なかなか便利な感じで、会場のリサーチ・手配、案内状の作成・印刷・発送、出欠の管理。当日は受付や司会進行もやってもらえるとか。
案内状の発送のために発足会・第1回幹事会では各クラス住所録の作成をすすめるという任務を受けます。この住所録作成、1から始めるクラスは本当に大変でした。
270人以上いる同級生、名前も顔もわからない、、なんて人がいたり。自分のクラスですらウッカリ忘れていた友達もいました。
何回目かの幹事会が済み連絡先のわからない同級生が沢山いることが分かりました。同窓会までまだ日にちがあるので引き続き捜索を続けることに。
住所録を「同窓会代行会社」に提出し「同窓会サイト」と言うものが立ち上がりました。そのサイトに入っている同級生全員が出欠の状況を把握でき、さらにアドレスや携帯番号を知らなくても掲示板を通して連絡が取れるというとても便利なものです。自分達だけで同窓会の準備をしていたらこのようなサイトは作れなかったと思います。
「同窓会代行会社」にお願いして良かったな!と思った出来事でした。
「同窓会サイト」を開き、中学時代仲が良かった友人の名前を見つけ「同窓会出席だ!」「元気なのかな?」とか考えたりしました。
同窓会が近づくにつれサイトでの連絡が頻繁になり、盛り上がっていたころに「コロナ」。出席だった人が1人2人、、、と欠席に変わりました。そのうちに同窓会が出来る状況ではなくなり延期。現在に至っています。中止ではなく延期、まだ同窓会の話は生きてますが「同窓会サイト」は現在ほとんど使われていません。
先日、久しぶりに「同窓会サイト」を開いてみようとPCを立ち上げログインしようと思ったらパスワードを忘れサイトに入ることが出来ませんでした。パスワードを忘れている自分にチョッとビックリ。パスワードを色々試す事10分程。ようやく「同窓会サイト」に入ることが出来ました。
懐かしい、会えたら嬉しい、サイト内で連絡が取れるようになった友達。
暫くやり取りをしていなかったので突然連絡をするのはチョッと勇気がいります。
チョッとの勇気って出すのが難しい。
延期になっている同窓会
2020年3月、人生の節目に中学時代の同窓会が開催される予定でした。
友達数人と飲んでいる席で「同窓会やろうと思っている」「だだから手伝って」と声をかけられ同窓会のお手伝いをすることに。発足会の前に少しづつ事をつめていくことになりました。
私達の学年は1つ上・1つ下に比べると2クラスほど少ない6クラスでした。1クラス45,6人いたので今思うと教室はギュウギュウ、密な空間だったな、、、と思います。
私のクラスは担任の定年をきっかけに少し前にクラス会をしていました。
忘れていましたが私のクラスは卒業時に同窓会幹事(男女各2名ずつ)が決められていました。男子は地元、隣町に住んでおりますが女子は遠方に嫁いでいたり、クラス会の幹事が出来ない環境にありました。
私は幹事でなければ中学時代まとめ役でもない、特に何かを任されるタイプでもない人間でしたが会社を辞め地元にいる時間が増えた時の出来事で「地元にいるなら手伝って」という流れで幹事代行を務めました。
このクラス会の時に連絡網を作成したのですが、ま~大変。大半の子と連絡がつかない。小さな町ですが区画整理などあり住所自体が変わっていたりアパートが取り壊されていたり。電話がつながらず、昔の記憶をたどり家に行ってみると更地になっていたり。こんなにも連絡って取れないものなのか、、、と落ち込みました。仕事や結婚で地元を離れた子もいます。私もそうですが、中学の頃は借家に住んでいた子が多かったので家族で引っ越しをして音信不通という子もいました。中学を卒業して長い月日が流れているので当然なのかもしれませんが「何時でも会える!」と思っていた昔の友人達と連絡がつかないことに呆然としました。それでも何とか4分の3くらいのクラスメイトと連絡を取ることができました。
この時大活躍したものが「年賀状」でした。年賀状だけの付き合いになっていても「繋がっている」凄さ!地方に引っ越した子の居場所を年賀状で知ることが出来ました。
長年、年賀状のやり取りを続けていた友達に感謝です。インターネットが主の時代ですが年賀状、アナログな手紙の大切さを実感しました。そして、年賀状に加えて地元に住んでいるママ友繋がりにも感謝。私は年賀状で役に立てず、子供が居ないのココでも役に立てず。
「去年、運動会で会ったから地元にすんでいるはずだ!」とか「授業参観で見かけた」とか「友達の子供が〇〇の子供と同じ部活だから聞いてあげる」とか情報がたくさん集まってきました。地元に住んでいるとわかるだけで探しようがあります。人との繋がりって面倒に感じる時もありまますが、やはり大切なんだな、、、と思いました。
ここ最近またコロナのコロナ感染者が増え、ニュースでは変異型がどうとか、、、自粛解除となっても気の抜けない日々を過ごしています。
予定していた同窓会は、ちょうど1回目の自粛期間に入っており実施できませんでした。中止ではなく延期のまま1年が過ぎました。
去年のあの頃は「お盆のころか秋のお彼岸くらいにはできるかな!」なんて考えていましたが、これからもしばらくは大人数が集まることが出来ない世の中かもしれません。
同窓会はいつ頃、どんな形だったら開催できるのかな?なんて考えてみるのもチョッと楽しかったりします。妄想好きの私でした。
税理士さんとの出会い ~確定申告~
会計士さんの所に行き、確定申告を済ませてきました。
今年は締め切り期限が通常より1か月長く4月15日。ゆっくり準備が出来ました。
この会計士さんには8年ほど前から御世話になっています。
とても真面目で丁寧な先生です。
母が他界して、相続・お金の事をどう処理したらよいのかわからずにいました。
私身内が少なく母一人子一人家庭で育った上に、近くに親戚が全くおらず相談できる人、世話を焼いてくれる人がいませんでした。
税理士さん?会計士さん?そんな友達も知り合いもいない「困った」と思った私。何故か「こんな時は不動産屋だ!」と思い地元で何十年も不動産屋を家族で営んでいる同級生のところに「誰か紹介してくれ!」と突然押しかけて行きました。
この時同級生は接客中のため同級生の父・母が親身になり話を聞いてくれ
「それならあの先生がいいわね、ね社長!」と副社長の母が社長の父に相談し、電話をかけ「斯々然々、、、」と説明をしアポまで取ってくれました。
その時紹介してくれた方が、今お世話になっている会計士さんです。
翌日、紹介された会計事務所に行き色々説明してもらっている時「ん?何かこの先生知ってるかも、、、誰だ?どこの知り合いだ?」と頭をめぐり全く先生の話が頭に入ってこなくなりました。
勇気をもって「先生、どこかでお会いしたことありませんか?」と聞いてみました。先生は「いや、、どうでしょう、、、」と困った感じで。気になった私は「先生ここは地元なんですか?」「先生おいくつですか?」「2つ上なんですね、じゃ中学1年重なってますね!」と話すうちに「あ!!!わかった」「先生、テニス部ですよね!」超すっきり、思い出した。テニス部の先輩だ。
2つ上なので私が入って5か月で引退してしまう上にテニス部はなかなか大人数、さらに男子と女子は別々練習。先生は私のことなど知る由もありませんが私にとって2つ上の先輩たちは憧れの存在、男子でもちょっとくらいは知っています。「確かこの人強かったぞ。」
因みに、不動産屋の同級生は中学時代から仲が良く、高校を卒業しても飲みに行ったりしていた男子。現在住んでいる所の土地の購入時、お世話してもらったご縁のある不動産屋さんです。
全く地元の友達など交流が無かったのですが、ここ数年地元の方とのご縁が増え
「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がとても理解できる日々を過ごしています。
元々親戚が少なく従妹も一人しかいないので従妹とは仲良しです。
でも本当に「近くの他人」に助けられています。
「近くの他人たち」ありがとう、これからもよろしくお願いします!
虹の橋を渡ったうちの子
3月は1度もブログを投稿しないまま。
あっと言う間に4月2日。
昨年の4月、桜が散り始めた頃 約20年一緒に生活をしていたミニチュアダックスフンドのイチローが虹の橋を渡りました。早いものでもうすぐ1年。
ちょうどコロナで自粛中、家から出ない生活を皆がしていた時の事です。悲しくても、やる気が出なくても元気に装い仕事をしなくてはいけなかったけど、自粛生活中でしたので泣いてばかりの引きこもり生活をしていました。
イチローがいつも居た場所を見ては涙、イチローの布団を見ては涙、空を見ては涙、、、こんなに涙は出るものなんだな。と思いました。
私の誕生日、3月生まれなのでつい先日。ずっと見ることが出来なかったイチローの写真をそろそろ見てみようと心に決め、ipadで撮りためたものを見てみました。久しぶりに見たイチロー、だいぶ時間がたっているのに涙がこぼれてきて沢山は見ることが出来ませんでした。でもチョッとだけ見られた。
私の家は物心ついた時からずっと猫のいる家でした。
私、母、祖母の女子3人家族で、祖母は老猫のシロと毎日ゆっくりとした時間を過ごしていました。穏やかな祖母で怒ることはなくセカセカ動く姿を見たことがありませんでした。本当にノンビリゆっくりした時間を過ごしていたので「ボケるのではないか?」と心配をするほどでした。
ある日、母の兄がやって来てニコニコしながら「母ちゃん、ほら!」と懐から小さな犬を出しました。母の兄夫婦が飼っていたミニチュアダックスフンドから産まれた赤ちゃん犬でした。※この仔がイチローです。
少し早く母犬と離れて暮らすことになったイチローは直ぐに祖母に馴れ、イチローのお世話を始めた祖母の時間もチョッと早く流れるようになりました。
今年は暖かく桜が早く満開を迎え、我が家の庭も水仙・アネモネ・ボケ・ニラ草・すみれ・ローズマリー、、とたくさんの花が咲きました。毎年「イチローと花」というテーマで写真を撮っていたので庭の至る所にイチローの思い出があります。
心の整理、、、、少しづつイチローの事、書いていきたいと思ってます。